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ごきげんよう。jArmuSch(ジャームッシュ)です。
jArmuSch radio第三回を公開致しました。


いつものように、YouTubeにアップしております。チャンネル登録よろしくね。YouTuberですね、うん。

今回は大好きな異能集団'' KAWASAKI ARTFULLY''の曲を紹介しています!是非お聴きください。ラジオ最高。
ごきげんよう、jArmuSch(ジャームッシュ)です。
今回はお知らせがございます。

jArmuSch、ラジオを始めました。どんどん!
(ここで「どんどん警察だ!」と言える方にはお酒を奢ります)

jArmuSchは昔から「いつかラジオで話してみたいなあ」と思っていました。夢の一つだったのです。
しかし、ラジオで話すなんてハードルが高すぎる、、、タレント(ターレント)でもないし、有名でもないし、ツールも無ければ方法もわからない、と諦めていました。

子供の時から慣れ親しんできたラジオ。ラジオを聴く、という行為は昔から変わらないものの一つだと思います。バスケも、ゲームもそれほどしなくなりましたがラジオは今でも聴いている、むしろ聴きたい。

あの「チャラリー♩鼻から牛乳〜♩」でおなじみの替え歌おじさん嘉門達夫と

鈴木彩子がやっていた「爆裂スーパーファンタジー」というラジオがやけにテンポがよくて好きでした。

鈴木彩子は、歌がこんな感じでカッコいいんですがラジオで話してると可愛い女子って感じのギャップが良かったです。ラジオってそういうところも聞けるからいいんですよね。jArmuSchも「ああ、こういうやつがアクセサリー作ってるのか」と思っていただけたら嬉しいです。

王道ですが、伊集院光のラジオも聴いてました。ブラジャーを「ブラジー」と中学の時に言ってました。

現行で聴いているのは大好きなバナナマンと

Jinmenusagiのラジオですね。もう終わっちゃうけど(なんでじゃ)


しかし、ハードルが高い高いと思っていたラジオですが、何やらネットラジオとかpodcastとか、自分たちで作って配信できちゃう時代と知り(遅すぎるぜjArmuSch)、色々と調べて作ってみた次第です。
オープニング、BGMなど全部自分で選んで録音してみました。驚くほど簡単でした、、、自分の情弱さ加減を恨みます。

さて、第一回目のjArmuSch radioは、簡単に言えば「一緒にやろうぜ」と語ってます。かなり短めにしました。
だってね、すごく楽しかったんです。録音が楽しかった。なので定期的にやっていこうと思います。
どうぞ宜しくお願いします。jArmuSchでした。皆さまごきげんよう。
ごきげんよう。jArmuSch(ジャームッシュ)です。
前回は私がアクセサリーを作り始めたきっかけの記事を書きました。
その際に「ファッションで影響を受けたのはハリウッドスター達そして当時好きであったラッパー達」と語りました。今回は「ラッパー」もう少し広い意味合いで「Hip Hop」から受けた影響についての記事になります。現在のjArmuSchを語るには(誰も語らねえ)欠かせないのがHip Hopになります。

ここ数年で私と知り合った方に「Hip Hopが好き」と語ると「凄く意外!」と驚かれます。しかし、鏡に向かってリモコンをマイクに見立ててYo Yo言ってましたし(いや、今でもするな)、20歳頃まではオーバーサイズの服しか持っていませんでした。嗚呼、美しい文化。

私がHip Hopと出会ったのは中学2年生の時でした。夏休みの期間中、アメリカのアーカンソー州という田舎にホームステイに行きました。何もかもが最高で、素敵な思い出です。新聞に載ったり、近所の子供に泥棒に入られたり、馬の出産を突然見せられたり(笑) 何かの機会にその辺りは書こうと思います。

それは1998年でした。今のようにネットは普及しておらず、アメリカが「ラジオ文化」ど真ん中の時であったと思います。ラジオから流れは音楽が全て!のような感じでした。ホストファミリーが運転するカーラジオからは相当流行っていたらしく、この曲が流れまくってました。
マスターP。少し聴いていただけるとわかるのですが、曲の中で「アアーー!」と叫んでます。Hip Hopでは各々こういったことをしますね(かなり解説乱暴)。中2のjArmuSch少年は衝撃を受けました。「なんだこれは、けどラップだよね、、、?」と。

当時DA PUMPが好きだった私は、ラップくらいは知っていたのです。
1stは名盤だなあと今でも思います。「Without you」が至高。

話は戻りますが、ホストファミリーに「これはなんて曲なの?」と聴いたら、カセットテープに当時流行っていたHip HopやR&Bの曲をたくさん入れてくれました。

そして、日本に帰ってきてからblastやbmrといった雑誌を買いあさり情報を得ていきました。繰り返しですがネットは普及していなかったのです。

この頃から、Hip Hopの独自なファッションにとても興味が湧いてきました。

Wu-Tang Clan

St.Lunatics

バンダナの使い方(ギャングのうんぬんはわかりますが、今は置いときましょう)、アクセサリーのブリンブリン(bling bling!)感、jArmuSch少年は魅了されました。
20歳になるまでの私は写真のようなファッションに身を包んで街を歩いていました。完全にボッタクリな「アメリカ人です」と嘘をつく黒人のお店でTシャツを7000円で買ったこともありました。

私がHip Hopを好きになった理由の1つに「なにが?」という精神を感じられるところがあります。
はっきり言ってHip Hopファッションは理解できない人からしたら「かなり変」です。

ジャージの前と後ろを逆にする(やってました)

サンバイザーを逆にかぶる(役目を果たしてない。これもやってました)

 他にも挙げたらキリがないのですが、全てに共通して「なにが?イケてんだろこれ。わかんないの?だせえ〜」という不敵な感じが私の心を掴んで離しませんでした。現在もそれは変わりませんし、jArmuSchのアクセサリーも「普通しないだろ」と思われても「これがわからないか、、、だっさ(超失礼)」の精神でやっています。色白タレ目のおじさんですが、心の芯はHip Hopに浸かっているのです。近年ではすっかりスキニーしか履かなくなりましたが(my nuts fit...maybe)、Hip Hopファッションは大好きです。かっこいいし。似合うような体型になったらまた着ようかな。

最後に、普段言わないことや言えないことをラップにするのも好きです。一聴してバレないように英語で書いてます。セラピーみたいな感じですね。

なんてまとまりがないんでしょう。以上がHip Hopから受けた影響でした。思いついたことをただ書くの楽しいね。jArmuSch(ジャームッシュ)でした。皆さまごきげんよう。

ごきげんよう。jArmuSch(ジャームッシュ)です。

初回は「私がアクセサリーを作り始めたきっかけ」について書いていこうと思います。


私は物心ついた時から、洋服は安いものをたくさん買って様々な組み合わせを楽しむタイプでした。「今日はこんな雰囲気、明日はちょっと違った雰囲気」になれる自分を子供の時から楽しんでいました。ファッションに関する知識はいまだにほとんど無いのですが(ベロア・・・?程度の知識)、それでもオシャレは楽しめるもんだなあと思っています。私のファッションセンス(なにを偉そうに・・・)は母からのアドバイスで成り立っています。母亡き今も、「○○に△△を合わせるのはちょっと変だよ」というような言葉を思い出して、しっかり守っています。


休みの日に制服以外を着る際に「オシャレを楽しむ」際に欠かせなくなったのがアクセサリーの存在でした。ファッション雑誌をしっかりとチェックし、流行に敏感な同級生たちは高そうなシルバーアクセサリーを身に着けていました。ファッション雑誌にどうしても興味がわかず、シルバーアクセサリーを購入するようなお金もなかった私は悲しみにくれる毎日。


ファッションで憧れたのはファッション雑誌ではなく、大好きな映画の中のハリウッドスターやハマっていたラッパーやR&Bシンガーでした。雑誌と違って、映像の中で彼らが身についているものが何なのか、どこで売っているのか当時(高校生くらい)はネットで探すなどもできなかったので(世間のみんなはできたかもしれません)、似ているものを探して身に着けてご機嫌!という感じで十分でした。アクセサリーは結婚指輪などの特別なものでなければ毎日違うものを身に着けたい、という性格の私は洋服と同じように安いアクセサリーをたくさん求めました。時にはブレスレットをジャラジャラとつけて、また違う時にはリングをたくさんつけてブレスレットはしない、ということを楽しみました。


しかしメンズのアクセサリーはとにかく高い・・・そして見た目が似ている、と私は感じていました。正直メンズアクセサリーは当時楽しくなかったのです。レディースのコーナーにいきブレスレット・リング・ネックレスを購入していました。「赤いリングが欲しいのに(安くは)売ってないなあ」と思うこともしばしば。


あれは確か28歳の時、ふと「作れたら楽だな。そんなに難しくないんじゃない?」と考えました。美術や図工の授業は特別好きでもなく、得意でもなかった私がなぜその考えに至ったのかはいまだにわかりません。貧乏人に神が降りてきたのでしょう。たまたま仕事が休みの日でもあったのでその足で産まれてはじめて手芸屋さんに行ってみました。


※jArmuSchは子供の時からの癖で「~屋」はすべて「~屋さん」と呼びます。あしからず。

TSUTAYAも「~YA」なので「TSUTAYAさん」。


その日に赤いリングを作りました。ワイヤーを使って、赤いビーズやボタンをあしらったもので、びっくりするくらい簡単にできたのを覚えています。夢中で色違いをたくさん作りました。ヴィンテージボタンを張り付けたリングなんかもたくさん作りました。

自分が欲しいものを、いくらでも、安く(しつこい)、いつでも作れることに夢中でした。

「それいいね」と褒めてもらったときのテンションの上りよう。素晴らしいものを見つけた!オレ、これ好きだ!と思いました。


そんな中、友人であるDella Togashi

Organic Factor「STAND BY ME」の一員の漢(おとこ)。1:40からラップしてます。

かっけえ・・・

そんな兄さん(実は私のほうが年上ですが)の誕生日に自作のブレスレットをプレゼントしました。「付けてほしい!」という気持ちから、兄さんのイメージに合うブレスレット。

受け取ってくれた兄さんはとても喜んでくれて、その場で付けてくれました。そしてそれを見ていた友達の女の子2人が「えーいいなあ、私にも作ってよ!」と言ってくれたのです。


スポーツができる、勉強ができる、音楽をやっている、など人に誇れることがなかった私(急に暗い話)。人に必要とされることもありませんでした。そんな私が「すごい」や「こんなものを作ってほしい」と言われるなんて、と喜びに震えました。それ以来作り続けている次第です。これが私がアクセサリーを作り始めたきっかけです。

ペースは遅く、皆さんにご迷惑をおかけし続けておりますが今後も精進してまいります。

jArmuSch(ジャームッシュ)でした。皆様ごきげんよう。