私がアクセサリーを作り始めたきっかけ

ごきげんよう。jArmuSch(ジャームッシュ)です。

初回は「私がアクセサリーを作り始めたきっかけ」について書いていこうと思います。


私は物心ついた時から、洋服は安いものをたくさん買って様々な組み合わせを楽しむタイプでした。「今日はこんな雰囲気、明日はちょっと違った雰囲気」になれる自分を子供の時から楽しんでいました。ファッションに関する知識はいまだにほとんど無いのですが(ベロア・・・?程度の知識)、それでもオシャレは楽しめるもんだなあと思っています。私のファッションセンス(なにを偉そうに・・・)は母からのアドバイスで成り立っています。母亡き今も、「○○に△△を合わせるのはちょっと変だよ」というような言葉を思い出して、しっかり守っています。


休みの日に制服以外を着る際に「オシャレを楽しむ」際に欠かせなくなったのがアクセサリーの存在でした。ファッション雑誌をしっかりとチェックし、流行に敏感な同級生たちは高そうなシルバーアクセサリーを身に着けていました。ファッション雑誌にどうしても興味がわかず、シルバーアクセサリーを購入するようなお金もなかった私は悲しみにくれる毎日。


ファッションで憧れたのはファッション雑誌ではなく、大好きな映画の中のハリウッドスターやハマっていたラッパーやR&Bシンガーでした。雑誌と違って、映像の中で彼らが身についているものが何なのか、どこで売っているのか当時(高校生くらい)はネットで探すなどもできなかったので(世間のみんなはできたかもしれません)、似ているものを探して身に着けてご機嫌!という感じで十分でした。アクセサリーは結婚指輪などの特別なものでなければ毎日違うものを身に着けたい、という性格の私は洋服と同じように安いアクセサリーをたくさん求めました。時にはブレスレットをジャラジャラとつけて、また違う時にはリングをたくさんつけてブレスレットはしない、ということを楽しみました。


しかしメンズのアクセサリーはとにかく高い・・・そして見た目が似ている、と私は感じていました。正直メンズアクセサリーは当時楽しくなかったのです。レディースのコーナーにいきブレスレット・リング・ネックレスを購入していました。「赤いリングが欲しいのに(安くは)売ってないなあ」と思うこともしばしば。


あれは確か28歳の時、ふと「作れたら楽だな。そんなに難しくないんじゃない?」と考えました。美術や図工の授業は特別好きでもなく、得意でもなかった私がなぜその考えに至ったのかはいまだにわかりません。貧乏人に神が降りてきたのでしょう。たまたま仕事が休みの日でもあったのでその足で産まれてはじめて手芸屋さんに行ってみました。


※jArmuSchは子供の時からの癖で「~屋」はすべて「~屋さん」と呼びます。あしからず。

TSUTAYAも「~YA」なので「TSUTAYAさん」。


その日に赤いリングを作りました。ワイヤーを使って、赤いビーズやボタンをあしらったもので、びっくりするくらい簡単にできたのを覚えています。夢中で色違いをたくさん作りました。ヴィンテージボタンを張り付けたリングなんかもたくさん作りました。

自分が欲しいものを、いくらでも、安く(しつこい)、いつでも作れることに夢中でした。

「それいいね」と褒めてもらったときのテンションの上りよう。素晴らしいものを見つけた!オレ、これ好きだ!と思いました。


そんな中、友人であるDella Togashi

Organic Factor「STAND BY ME」の一員の漢(おとこ)。1:40からラップしてます。

かっけえ・・・

そんな兄さん(実は私のほうが年上ですが)の誕生日に自作のブレスレットをプレゼントしました。「付けてほしい!」という気持ちから、兄さんのイメージに合うブレスレット。

受け取ってくれた兄さんはとても喜んでくれて、その場で付けてくれました。そしてそれを見ていた友達の女の子2人が「えーいいなあ、私にも作ってよ!」と言ってくれたのです。


スポーツができる、勉強ができる、音楽をやっている、など人に誇れることがなかった私(急に暗い話)。人に必要とされることもありませんでした。そんな私が「すごい」や「こんなものを作ってほしい」と言われるなんて、と喜びに震えました。それ以来作り続けている次第です。これが私がアクセサリーを作り始めたきっかけです。

ペースは遅く、皆さんにご迷惑をおかけし続けておりますが今後も精進してまいります。

jArmuSch(ジャームッシュ)でした。皆様ごきげんよう。

jArmuSch toyforjoy

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